声優論読了してから自分の声優の考え方を色々語る(主に文句)
- 作者: 小森健太朗,遊井かなめ,夏葉薫,町口哲生,深水黎一郎
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2015/02/25
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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声優アワード反省会用のネタで使えるのかと読んだわけだが、聴いた声の経験と判断の堆積の結果がこれでは(声優論として)正当な批評では無いし、論ずるに値しない文章だった。云われ方が可哀想な人もいた。表紙の帯で宮村優子がああ書くのもわかる気がする。読んでから批評しろ!ってあったので語りたくなったことを書いていく。
例えばAとBという声優について論じたり語ったりすると、読者はAとBが共演して交わる瞬間を読みたいもので。文藝春秋から発行されてるスポーツグラフィックよろしく。
ただ、ここでの書き手が読み込んだ物語やストーリーの主観的なもので語る必要はない。
となると、AとBを強引に結び付ける何かを楔に入れて語るわけだが、その楔の部分が説得力に欠ける。さらにAとBの声優について論じる時になぜか評価、比較対象として声優Cが当て馬のように使われることが釈然としない。論じる声優以上に脚注の声優の数が多い。
声優の歌唱について論じ方
水樹奈々が戦姫絶唱シンフォギアのキャラソンについて論じたり、花澤香菜が歌手としてのソロ活動について論じられてるのを読んで、論じる項目が違う。例えるとゴールを求められてる人間にチャンスメイクを論じられたり、逆にチャンスメイクが求められてる人間にゴールについて論じるようなもの。なんで恋愛サーキュレーションやキャラソン活動が無視されてるのだろうか…不思議だ。
シンフォギアに戻るけど、高山みなみのTWO-MIXからはは
打ち込みの曲なんで論じれないって件も酷い書き方で。
歌、歌唱から声優を論じるのは苦しすぎるものがある。
豊崎愛生は頑張り所ではあるが、幻想を追いかけて論じすぎ
スフィアの件や井上麻里奈の件で狙い撃ちされて書かれててちょっと可哀想。特に
「めだかボックスは井上麻里奈が演じてたほうがはまってたのかもしれない」
愛生さんからしたらけいおん唯のゆるふわ声から脱却を考えてただろうし、声優の消費サイクルが早い現状では新たな声質で音響への印象付けように感じたのだが。
現状愛生さんはスフィアの中で一番もがいてるように見える。ここを乗り越えれたら声優として長続きすると思うし、スフィアの中で一番パーソナリティーがあると思うから良い方向に転んで欲しい。
あと、夏色キセキはスフィア全員主役級という声優ありきの作り方は政治の匂いが払拭できなかっただけ…だと思う。そこが他の所にも波及しちゃったのかな。