そこんとこ

好きなものを自分の言葉で語りたい

曲の力に頼らずに書けるのか?って話

先日のASCAライブ@大阪のことを書いた。
てっきりセットリストが変わるようなことをMCで話してたので、ハイドレンジアを書いた。この日だけの選曲だろうって受け取ったので。
ツアー終わって上がってたセットリスト見たら全会場やってて、いい場面をネタバレさせちゃったので申し訳ない気持ちになった。

ASCAのライブには曲のパワー、セットリストのパワーに頼らないライブの話にしようと心がけた。
それで伝わるのか、何年か後に読んだときにツアーの空気感が伝わるのかはわからない。ただ、出来るだけ曲以外のことで感じ取れる部分は伝えようって気持ちがあった。
大阪しか行けなかったけど、弦楽器を使ってのバンドセットでアプローチを変えても、ステージの熱量がビシビシと伝わってきたって話をしたかったんですよ。

でも推しまでは行かないが、遠くまで遠征してでも見たい人や近所に来てくれたから見たい人だと、強い想いや期待感なんかの語彙力が無くて、結局セットリストのあれ歌ったって話になってしまう。見たい人が全て同じ熱量ではない。
こういう話になると、曲と感じ取った部分のバランスが重要になるって話の着地点にたどり着いたわけで。
それか語彙力無くした勢いだけの文章になるのかな。


昨日羽田空港であったMusic Unity 2022のセットリストが上がったらちょっと言及したくなるくらい盛り上がった。
セットリストの力、曲の力が話したくなる引力があるように感じた。まあ、KOTOKOのセットリストは令和の時代に卑怯だwっておじさんが言いたくなる。
久々に歌ったこともあるけど、このセットリストの羅列でもちょっとワクワクするし、話したくなる。
ライブだから曲のことだろ。



この話、次にライブの感想を書くときにはセットリストの曲のことを書きつつも、感じ取ったことも書くのだろう。
気がつけば自分で勝手にハードル上げてたことが判明してた。
自分のペースで書きます。

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