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【感想】夏フェス革命 -音楽が変わる、社会が変わる-

夏フェス革命 ー音楽が変わる、社会が変わるー

夏フェス革命 ー音楽が変わる、社会が変わるー

本書に出てくる4大フェスに行ったことがない、未見だ。行ったことがあるのは本書でのフェスの定義から外れてるアニサマやリスアニのような1ステージでのジャンルの狭いフェスだ。
思い出したのは2000年のサマーソニックの日に別のイベントで近くまで来てて(ラブひなのイベントだったような…)南港の会場を見ながら「こっちは裏サマーソニックじゃああああ」と吠えたり。また、フジロックに凍らせたウーロンハイを持っていった某氏が自然と浮かんだ。

解せないのは、フェスって知らないアーティストのステージを見て「これ良いなあ、ワンマンライブも行ってみたい」「5,6曲じゃ足りない!ワンマンライブでもっと見たい!」に持っていくまでの導線であり通過点であるはずだと個人的に考えてた。本書ではそういう類いの文言が著者から発せられることなく横山健サカナクションの山口一郎が言及したのみだった。ただ、これは本書のテーマとはお門違いだったのでこれ以上は触れないが、この定義は外して欲しくなかった。

本書ではフェスがどのようにして拡大していったのかを分析。豪華出演者から始まって、夏の思い出としての1つのツール、おしゃれだったりフェスのご飯だったり。さらにはmixiを通じたSNSの浸透によりフェスに参加しやすい文化になったことを分析。この流れはなんとなくわかるが、今思うと東京ウォーカーや東京1週間などの情報誌があの当時は全盛期でトレンドに影響力のある媒体だったが今では...。あと、SNSの浸透だけど当時mixiは使いこなせてなかった(あれ招待制だった)のでピンと来ない。ただ、スマホの普及で個人で発信できる環境が整ったのが大きい。
あと、ここでは触れてないが(ロックインジャパンでDJブースがあることは触れてた)クラブ文化もフェスの拡大に貢献したのかなって個人的に感じてる。自分が初めてクラブに行ったときフロアのノリがライブとほぼほぼ同じノリだったので。そこから派生してフェスに流れていったようにも感じる。
個人的には自分が95年のJUDY AND MARYで初めてコンサートに行ったときなんかは、ライブに行くコンサートに行く行為が敷居が高かった。チケット購入するにも公衆電話でピポパした記憶がある。その頃からコンサートに参加してた人間は能動的に動いてた人間だと思う。それ以降、コンサートやライブに参加する敷居は年を追うごとに下がっていった印象がある。フェスが拡大していった背景には能動的にライブに参加する人間が拡大していって、そこから受動的にライブに参加する人間が増えていった。フジロックからの20年ってのは外に出て音に触れることが増えていった20年だと思う。

突っ込みたいことはあって。
4大フェスではモッシュやダイブが禁止されてる。これが安全な環境でライブが見れるってことで拡大していった要因の1つとして分析されてたが、一方でサークルモッシュ(曲中に大きな輪を作ってサビになると真ん中になだれ込む)はライブの定番聴取スタイルってダブルスタンダードでそれも厄介行為でしょって思うわけで。
フェスだけ参加者に思うのは、フェスでやってる聴取スタイルをそのままワンマンライブに持ち込んでトラブルを起こすパターン。ライブ現場の環境に順応出来てないのが多いような気がする。

一番笑ったのはロッキンオンジャパンのロックのロジック。「透明であり続ける、ゆえにロック」で爆笑した。やっぱりロッキンオンジャパンはクソって思うと同時に、このロジックだとポプテピピックもゆえにロックの扱いになると思う→上坂すみれさんロックインジャパン出演のチャンスってなって。このロジック気持ち悪い。


これ読んでロックインジャパンを含む4大フェスに行きたいか?ってなると...やっぱり出演者次第かなって結論に。出演者見ないでとか夏の思い出じゃなく純粋に音楽に触れたい人であった。