そこんとこ

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ヒットの崩壊

ヒットの崩壊 (講談社現代新書)

ヒットの崩壊 (講談社現代新書)

読みました。
大体こういう話の結論ってのは多様性の時代になったってこと。だがまだまだ時代を映す鏡になれる!って思ってるみたいだが、気がつけば音楽に対して付いていく層と離れてる層がはっきりしてる、実家に帰るたびに感じるのだが。
CD(パッケージ)が売れなくなった売れない。チャートはもう無茶苦茶。配信はというとまだまだ伸びるがあの人の会社がノリ気じゃない...唯一の救いはライブ!やっぱり時代はライブだよねって。
2015年の音楽ソフトの生産金額は2544億円、音楽コンサート市場が3405億円と逆転しちゃってた世の中。そりゃ音楽市場のメインはライブだよなあって思う。
ここまでライブ市場が伸びた発端がフジロックとかのフェスの開催から大型ライブや野外コンサートが続いて拡大していった。確かに、昔某イベントの裏で南港のすぐ近くであった1回目のサマーソニックの盛り上がりっぷりは遠くから見てて感じるものがあった。
結局なんでここまで伸びた要因はライブに参加することをSNSで共有することで大きくなった...とあるが自分はうーん...って反応。


20年以上前の話だが、初めてライブに参加したときのことを思い出した。
今でも覚えてる1995年の6月の火曜日、JUDY AND MARY高松市民会館だった。あの時は90年代の真っ只中CDがバカみたいに売れるヒットの隆盛のような時代。コンサート、ライブに行くことが変な目で見られたような記憶があった。今みたいに気軽にライブに行くよって言える空気でもなく、外に出て音楽を聴くって行為の敷居の高さを感じた。ライブに行くことがおかしいことなのか?
この敷居の高さを感じる事象ってのが大槻ケンヂの小説の中にあった

武道館公演を成功させたばかりのバンドが、次のツアーを発表したところ、全会場で10分の1も券が売れず、ツアー総てが中止になる、などというような異常事態がアチコチで発生するようになった。

筆者はこれを一過性のブームの結果と捉えてるが、自分はこれこそライブに参加する敷居の高さが産んだ悲劇だと思う。
現在でこういうシチュエーションだったらファンは大喜びする展開なのに、武道館に来てた客はそこまでファンじゃなかったということなんだろう。当時が異常なのか、やはり今ではこういうことは考えられない。ただ無茶して武道館って事例はまだあるがw

あと、当時聞いてたサイキック青年団「ライブを開催すると赤字になる。その赤字を埋めるためにグッズを売ってる」って諸説があって、ライブやコンサートをやればやるほど儲からないって思ってて、現在では収益バランスが良くなって儲かるシステムになってるここまで伸びてるのかって時代の流れと自分の中での90年代認識の崩壊だったのだろうなあ。